人類が生き抜くために必要な【時計と暦】
〜あなたは知られざるその発展の歴史を知っていますか?〜
唯一人々に平等に与えられた24時間、1日という時間の長さ。
時間とは、私たちの生活に欠かせない“人類共通のものさし”です。
今では時計やカレンダーが生活の中にあるのが当たり前で、どのように発展してきたのかを考える機会があまりなかったかもしれません。
時計やカレンダーが無かった頃、人々はどのように時を把握していたのでしょうか。
この機会に“時計と暦”が現在のような形に出来上がるまで、どのような経緯を辿ったのか一緒に見ていきましょう。
さて“時間”という概念に初めて気づいた人物はどなたかご存じですか?
実は、そのような記録が残っていないため特定できていません。
わかっていることは、太陽の動きでできる木の影や岩の影の長さや方向で時間の存在に気づいたのではないかと言われています。
では、これから時計の歴史を3つのフェーズに分けながら、先人達がどのような理由で時間が必要になり、どのように時計が進化、発展していったのかを紐解いていきましょう。
まずは、時計の原点から歴史を振り返っていきます。
目次
【時計と暦】〈第1フェーズ〉古代から西暦1300年頃
時計の歴史は、紀元前3500年代のメソポタミア文明と紀元前3000年代の古代エジプト文明の時代までさかのぼります。
なぜその時代に時(とき)が、必要になったのでしょうか?
それは、“農業”が理由でした。
農作物の種をいつ蒔き、いつ収穫するのか、どうしたら豊作し、その村が栄えるのか。
生活に密接にかかわっていたため“時間”(季節)というものが必要となり、時間の概念が生まれました。
しかし、この時代に現代と同じような時計は存在していませんでした。
では、どのようなものが時計になったかというと、それは“影を利用”した「日時計」でした。
人類が初めて作った時計で、今でも“日時計”が設置されている公園もあるようです。
あなたも一度はみたことがあるかもしれません。
日時計の痕跡が、メソポタミア文明と古代エジプト文明に残されていました。
その時代の人々は生き延びるために日時計を作っていたことがわかります。
現代の私たちは、スーパーなどに行けばすぐに食べるものが購入でき、寒い時期には暖をとり随分と生活がしやすくなりましたが、このような生活が送れるのも先人たちの知恵のおかげと言えるでしょう。
また、私たちは「30日が1ヶ月」という暦の認識を持っていますが、その概念はメソポタミア文明を築いたシュメール人が既に使用していたという記録が残っています。
時間も暦もすでにメソポタミア文明の時代に生まれていたんですね。
時間を把握するということは今では当たり前のものですが、人々の生命と生活を支えてくれていた大変重要なものであるということがわかります。
しかし、日時計には弱点がありました。
曇天や建物の中だと時間が把握できず、その欠点を補うために「水時計」が発明されます。
水時計は、底に穴が開いており日没とともに底の栓を抜き水面の高さの変化で時を測っていました。
水時計は、紀元前1400年頃からエジプトとバビロニアで使用されていたことが確認されています。
またエジプトでは紀元前1550年頃には、夜用の時計として使われていたようです。
ギリシャでは、紀元前500年代頃からクレプシドラ(clepsydra ギリシャ語で水泥棒の意)と呼ばれる水時計が使われ、当時のアテネの法廷では弁論時間を測るのに欠かせないものだったそうです。
また、かつて「時間は神のもの」と考えられており日時計、水時計は位の高い者が管理していました。
しかしギリシャ時代に突入すると科学者達に委ねられ、さらに水時計の改良に取り組みました。
ちなみに日本では、飛鳥時代(西暦671年)の天智天皇が中国から伝来した漏刻時計(水時計)を置いたと日本書紀に記載があります。
しかし、水時計にも弱点がありました。
それは蒸発したり凍ってしまい、1年中を通して安定した時刻を計ることができませんでした。
その後、人々は工夫をこらし様々な時計を作り出します。
紀元前600〜501年代頃にはロウソクやランプを用いた“燃焼時計”が作られました。
西洋ではロウソクや油を使ったものが多かったのですが、中国や日本では香や線香、火縄なども使ったそうです。
はたして、ロウソクやランプでどのように計ると思いますか?
ロウソク時計は、ロウソクの側面に目盛りを記して経過時間を把握していました。
ランプによる火時計は油を注ぐ容器に目盛りを記し、時間を測っていたそうです。
そして紀元前1400〜1301年代頃には、現代でも馴染みのある「砂時計」が作られました。
砂時計は、水のように凍ったり蒸発しないため水時計より安定して時間を計測でき、特に寒さの厳しい北欧で重宝されました。
作られた当初は、砂の粒が大きく詰まってしまうこともあったようですが、正確な時間が測れるよう改善されていったようです。
また、揺れや温度変化に強かったため船上でよく使用されるようになりました。
人類初の日時計から、水時計、さらにロウソクやランプを用いた火時計、そして砂時計が人類の知恵によって作られた経緯をお話ししました。
次は、第2フェーズ(西暦1300〜1745年頃まで)に移ります。
【時計と暦】〈第2フェーズ〉西暦1300〜1754年頃まで
西暦1300〜1745年頃までの約450年の間に、時計は飛躍的な進化をとげましたがこの飛躍を果たすまでにたくさんの苦労がありました。
「見えないものを見える形にする」には、それぞれの時代を代表する科学者や職人が研究しても、そう簡単に解決できるものではありませんでした。
時計の存在が当たり前になった現代では、先人たちがどのような苦労をしてきたか私たちには想像もできないようなことがたくさんありました。
しかし先人たちの探求によって、時計が完成し、その中で生きている私たちはとても幸せな時代を過ごしていると言えるでしょう。
それでは、第3フェーズに入る前に時計を飛躍的に進化させた3つの出来事をお話ししていきます。
【時計と暦】時計を飛躍的に進化させた3つの出来事
まず1つ目は「機械式時計」の発明について。
機械式時計はいつから使われ始めたのか、その歴史を辿ってみると西暦1309年にミラノの教会で使われたことが記録として残っていました。
また、パリのシテ島に現存する最も古い時代の機械式時計は西暦1370年にフランスのシャルル5世がドイツ人時計職人のアンリ・ド・ヴィック氏によって作られた宮廷の塔時計と、西暦1386年に英国ソールズベリー寺院に設置された塔時計です。
機械式時計が発明されるまでは、「時」は神から授けられたものと考えられていたので国の中でも位の高い人々によって管理されていましたが、機械式時計の誕生によって、その常識が覆えされました。
時間は人々に平等に与えられ、昼と夜の時間をそれぞれ分ける「不定時法」から現代でも使用されている「定時法」へ変わりました。
さらに、農業や林業、漁業などが盛んだった時代から電化製品や製造業など工業を主体とする時代へと突入するきっかけとなりました。
2つ目は、小型化の出発点である「ゼンマイ」が発明されたことです。
当時の携帯時計は最小でも高さ厚さ10センチ程度もある振り子式でした。
ゼンマイは、錘に比べて小さく「時計の移動や傾きに左右されにくい」「巻き上げられたゼンマイのほどける力で時計を動かす」という特徴があります。
実は“ゼンマイ”がいつ発明されたのかはっきりした年月日がわかっていません。
しかし、西暦1462年のヨーロッパではすでにゼンマイが使用された時計が存在していました。
どのような経緯をたどってゼンマイが発明されたのでしょうか。
実は知らない人はいないイタリアの物理学者・天文学者「ガリレオ・ガリレイ」が発見した「振り子の等性原理(振り子の周期)」が時計の技術に大きな一歩を与えたのです。
その約72年後の西暦1654年、イギリスの科学者ロバート・フックが「振り子の原理」から「ひげゼンマイ機構」の基礎を確立しました。
そのたった2年後(西暦1656年)、オランダの科学者クリスチャン・ホイヘンスはガリレオの発見を基に「振り子時計」を開発。
その後、ホイヘンスは西暦1675年にひげゼンマイによるテンプ式調速機を考案しフランスで特許を取得しました。
(実は、ひげゼンマイ機構の基礎を確立した科学者フックがひげゼンマイが時計のテンプに応用できることに気づきましたが特許は取得しませんでした。)
ここからさらに、ぜんまいの機能を超える「ひげぜんまい」が発明されます。
3つ目は、「調速機」の発明。
西暦1675年に、ホイヘンスが時計の内部機構である「てんぷ」と「ひげぜんまい」を組み合わせた当時としては画期的な機構を発明しました。
これによって今では当たり前となっている「分針」がつくようになったのです。
ちなみに、現存する日本最古の機械式時計の存在をあなたはご存知でしょうか。
実は、静岡市の久能山東唱照宮に保管されています。
その機械式置時計は西暦1600年代末にマドリードで製造されたものでスペイン国王から徳川家康に贈られたものでした。
機械なので普通なら部品交換を繰り返しますが、家康の死後「東照権現様のご遺品」ということで封印されており、世界工業史にとって非常に重要な逸品を伝えることになっています。
さらに20年後の西暦1695年、イギリスの時計師トーマス・トンピオンがより精度の高い「シリンダー脱進機」を考案。また、その弟子ジョージ・グラハムは30年後(西暦1727年)この仕組みを懐中時計に実用化したことで時計の小型化、高精度化がさらに進むことに。
この功績によってのちにトンピオンは「イギリス時計産業の父」と称されるようになりました。
また、西暦1754年にはグラハムを師とするトーマス・ヘッジが現代の脱進機に繋がる「レバー脱進機」を発明。レバー脱進機は大量生産を可能にし時計工業をさらに発展させる足がかりになりました。
そして、第3フェーズへ移ります。
【時計と暦】〈第3フェーズ〉西暦1754〜2000年頃まで
機械式時計の小型化がさらに進み、ファッションとして身に着けられる「懐中時計」の時代へ発展していきます。
ここで、機械式時計が小型化になった理由と懐中時計と腕時計がどのような理由で発展し広まっていったのか少しだけお話しさせていただきます。
機械式時計の小型化には、軍の要請も大きく関与していました。ヨーロッパーでは西暦1450年頃から大航海時代が始まりましたが、緯度がわかっても(太陽や北極星)緯度を測ることができなかったため、船の衝突、遭難事故が多発していました。
西暦1700年代にはイギリス海軍の軍籍が沈む大事故がきっかけで海上で経度を確定する有効な方法を募集しました。
これに応じたのが木工職人のジョン・ハリソン。
西暦1736年、太陽の位置から経度を測定する方法に基づき、揺れる船内に長時間おいても正確に動く機械式時計「クロノメーター」を初めて製作。
なんと、5ヶ月間の航海で誤差は1分以内という高精度を実現しました。
このような経緯を辿り、機械式時計の小型化が進んでいきました。
また、懐中時計は西暦1700年頃から一般的に使われるようになり、約100年以上の間ポケットに入れることが普通でした。
そして、西暦1900年頃代にさらに改良が進みチェーンストラップがつけられステータスの象徴に。
その後、戦争で戦う兵士たちが時間がすぐにわかるようにと腕時計の着用が義務になりました。
さて、ここで機械式時計の小型化の発明に欠かせない天才時計師「アブラアン・ルイ・ブレゲ」についてご紹介いたします。
機械式時計の小型化は、「時計界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と称された天才時計師“アブラアン・ルイ・ブレゲ”は時計の進歩を約200年も早めたといわれるほどの人物であり、デザイン・技術の両面で時計の発展を進めました。
彼は時計の知識だけでなく工学、天文学、機械工学などの知識を身につけ、革新的な発想と技術で人々が驚愕する時計を世に送り出していました。
ここで、天才時計師ブレゲがどれほどすごい発明をしたか彼の発明の一部をご紹介いたします。
・西暦1780年 ペルペチュエル「オートマティック」と呼ばれる自動巻き機構の実用化
・西暦1783年 ミニッツ・リピーター用ゴング発明(音によって時刻を知らせる装置)
・西暦1790年 パラシュート機構(衝撃吸収機構)
・西暦1795年 パーペチュアルカレンダー(日付調整不要。閏年まで計算してくれる機能)
・西暦1801年 トゥールビヨン(重力分散装置。極限まで精度を高める機構)
上記以外にも数々の発明をし、ブレゲの時計はヨーロッパ各地の王侯貴族や富裕層、エリート階級に愛され、フランス王妃マリー・アントワネットも西暦1783年に彼に時計製作の依頼をしているほど。
ブレゲの死後は弟子たちが製作を受け継ぎ、西暦1827年に完成したそうです。
なお、機械式時計の3大複雑機構と言われる「トゥールビヨン」「永久カレンダー」「ミニッツリピーター」はブレゲの発明。
彼がいなければ、もしかすると現代に存在するような小型化された時計は存在しなかったかもしれません。
さらに西暦1901〜2000年代に入ると電子の時代へと大きく変革していきます。
西暦1950年代後半には、水晶を動力源とするクォーツ時計の開発が進み、大衆に向けて腕時計が広まってゆく時代となりました。
今では腕時計の中に収まるほどの大きさですが、アメリカで発明された当初(西暦1927年)はタンスほどの大きさがありました。
日本はクォーツ時計の小型化、実用化に取り組みます。
その研究を重ねたブランドが言わずと知れた“セイコー”。
1964年に開催された東京オリンピックで競技を計測するための卓上型のクォーツ時計を作りました。
その後、改良され西暦1966年に懐中型、西暦1967年に腕時計のプロトタイプが完成し、商品化方針が打ち出され一気に開発が進みます。
世界初のクォーツ腕時計は、西暦1969年12月25日にセイコーから販売。
45万円の価格の「セイコークオーツアストロン35SQ」でした。
(当時の45万円は大衆車と同じ価格。)
このことをきっかけに、携帯時計の精度は飛躍的に進歩。
安くて正確なクォーツ時計が普及すると、機械式時計の需要は下がりスイス時計業界が厳しい状況に追い込まれる事態にまで発展してしまいました。
世界最古の時計ブランド“ブランパン”は一時休止、IWCは倒産寸前と壊滅的な打撃を受けるほど。
その影響は80年代後半まで続き、約15年間で大半の機械式時計ブランドは倒産し姿を消しました。
ようやく西暦1990年代に機械式時計は復活を遂げます。
その理由は、単なる時間を確認するためのツールではなく「工芸品としての価値」「資産としての価値」があるから。
現在では、高精度のクォーツ時計やスマートウォッチの人気も変わらずありますが、職人技の集大成の機械式時計は美術品のように美しく繊細な機構にうっとりしてしまう魅力があります。
一時期は機械式時計の需要が危機的状況に追い込まれてしまいましたが、クォーツ時計が誕生したことで機械式時計の素晴らしさが見直されたうえ、腕時計を身近なものに変えたと言えるでしょう。
このように、時計の歴史は、西暦1300年頃から約630年の間に急速に発展を遂げました。
経済と人類が発達するとともに時計の発展も進み、まさに時代と人類の発展を表すものだと言えます。
【時計と暦】腕時計の動力の種類
これまで時計の発展についてお伝えしてしましたが、時間を計測する方法によって3種類に分けられることはご存知でしょうか。
それぞれ「機械式時計」「クォーツ時計」「原子時計」と呼ばれています。
1.機械式時計
機械式時計はゼンマイで動いています。
巻かれたゼンマイが一定の間隔でほどけることで時を刻んでおり、自動巻式と手動でぜんまいを巻き上げる手巻き式の2種類があります。
日本にはじめて機械式時計がやってきたのは、西暦1550年にフランシスコザビエルが献上品として持参したものでした。
2.クォーツ時計
クォーツ時計は電気で動きますが、内部で水晶(クォーツ)を振動させその振動を読み取り分針を動かします。
高精度であり、世界中のあらゆる人が時計を持つことを実現させました。
3.原子時計
原子時計もクォーツ時計同様に電気で動きますが、原子の電波を内部デジタル回路で読み取り時刻を刻んでいます。
【時計と暦】人類のものさしー「暦と時」の関係性
時計の歴史についてお伝えしてきましたが、次は“時”をはかるツールとして欠かせない「暦」についてもお伝えしていきます。
時計の時刻同様、暦(カレンダー)も私たちにとって重要です。
はるか昔、農業が人間の主な産業だった頃、作物の種をいつまいたらいいのか、冬への備えはいつからはじめたら良いのかなど、人類が生きていくために暦は大切なものでした。
カレンダーが存在していなかった時代は、冒頭でお伝えしたように太陽や月の動きから読み取り生活を営んでいました。
【時計と暦】3種類の暦について
これから3種類の暦についてお伝えしていきます。
1.太陰暦
中国やイスラム圏、日本を含むアジア圏でも広く採用されており、今日でもイスラム教圏で使われています。
日本では、明治時代まで採用されていました。
月の満ち欠けをもとにして作らた暦で、月が新月になる日をその月の始まりの日としていました。
月の満ち欠けが一周する周期(約29.53日)を元に一月を29日と30日に設定しているので、実際の季節と少しずつずれが発生します。
そのずれを補う方法として「うるう月」を設けて1ヶ月増やして調整していたため、1年が13ヶ月になる年がありました。
2.ユリウス暦
紀元前45年、古代ローマの政治家であったガイウス・ユリウス・カエサルが採用した暦です。
365.25日を1年とし、4年に1日「うるう日」を置き、1年を調整していました。
3.グレゴリオ暦=太陽暦:現行の暦
ユリウス暦も年100年経つうちに少しずつずれが進み、西暦1500年代頃には11日も進んでしまったため、西暦1528年にローマ教皇グレゴリオ13世がこの暦を採用しました。
ユリウス暦では400年に100回のうるう年を置くのに対し、この暦は97回のうるう年を置くことで、かなり正確な暦となりました。
今でもおなじみのカレンダーとして使われています。
ちなみに1年が365日である理由は、地球がおよそ365日をかけて太陽の周りを1周するからです。
ぴったり365日ではなく365.2422日なため、その誤差を調整するうるう年が置かれて調整をしています。
日本の暦はしばらくの間、太陰暦を採用していましたが西暦1872年12月3日に現在の暦であるグレゴリオ暦に統一されました。
当時の西洋化に順応すべく、世界各国で採用されているグレゴリオ暦に変更したのでしょう。
日時計から腕時計までに発展を遂げた時計の歴史と天文の運行を基に作られた暦をご紹介させていただきました。
まとめ|【時計と暦の歴史】
このように、時計と暦は長い年月をかけ現在のような高精度でコンパクトな形になりました。
腕時計が宇宙、そして科学と繋がっているとは、とてもロマンチックですね。
ぜひ、時計が進化、発展してきた歴史を思い出しながら、あなたの腕時計を選んでみてください。