近代時計の歴史「東洋のスイス」を目指した日本の挑戦と未来
クオーツショックをご存知でしょうか?
これは日本の時計メーカーのひとつ、セイコーが開発したクオーツ腕時計によって、時計の価値観が大きく変化した出来事です。
「東洋のスイス」を目指していた小さな国が、世界の時計産業に大きな影響を及ぼすまでに成長するとは、誰も想像できなかったに違いありません。
高度経済成長とともに発展してきた近代日本の時計産業の歴史を、今後の時計の展望とあわせてご紹介します。
和から洋への方向転換
日本の時計産業は、キリスト教の伝来とともに始まりました。
宣教師がさまざまな機械や書物を日本に持ち運びましたが、その中のひとつが機械式時計でした。
江戸時代、日本が鎖国となるとす国内にある時計をもとに、日本独自の時計(和時計)が発明されます。
当時の日本は「不定時法」という時刻制度を採用しており、1日を24時間に等分する定時法が使われていた洋式時計は日本の生活に合いませんでした。
不定時法は日の出とともに目覚め、日没に眠るという自然のリズムを基準とした時刻制度のことです。
今でも使う「正午」や「おやつの時間」といった言葉は不定時法の名残です。
1872年の改暦時に、不定時法から定時法に切り替わります。
これをきっかけに和時計の製造が中止となり、洋式時計の生産が始まります。
目標は東洋のスイス
日本の時計は、いくつもの苦労を乗り越えて発展しました。
関東大震災や第二次世界大戦といった工場被災に、軍需用生産優先による時計の開発と生産の減少。
戦争終了後も生産設備や機械の老朽化といった問題に直面し、戦後の時計は戦前よりも質が劣っていたとされています。
そのため、日本は「東洋のスイス」を目指して時計の生産体制を整えます。
当時のスイスは性能、デザイン、コストなどあらゆる面で優れており、時計の流行の最先端でした。
経済成長と世界初
最新の技術と機械の導入に、生産技術の改良の繰り返し。
その結果、昭和30年後半には大量生産システムが確立され、海外製と遜色ないクオリティの時計が各メーカーから次々と開発されるようになりました。
高品質の時計がリーズナブルに手に入るようになり、貴重品だった時計は多くの人が使う日用品に変わりました。
需要が増したのは、高度経済成長によって人々の所得水準が上昇したことも影響しています。
1954年には戦前の最高生産量を上回り、なんと560万個を記録しました。
そして1969年にセイコーが発売した世界初のクオーツ式腕時計「セイコークオーツアストロン」。
日差±0.2秒という、当時の機械式時計の約100倍も正確なこの時計は、精度はもちろん耐久性においても機械式時計を凌駕します。
のちにセイコーが特許を公開したことで、世界中にクオーツ時計が普及し、時計の主流となりました。
時計の常識が変わったことにより、数多くのスイスのメーカーは閉鎖を余儀なくされます。
しかし嗜好品としての機械式時計の価値に着目し、高級時計という新たな地位を確立しました。
機械式時計ならではの味わいや芸術的な美しさは今でも健在ですよね。
地球と人にやさしい時計を目指して
今までは精度や信頼性の向上に重きを置いた時計ですが、今後は地球環境や環境保護、細分化された消費者のニーズを汲み取ることが求められています。
たとえば電池交換が不要な光エネルギーや自動発電の時計、あるいは金属アレルギーを起こしにくい材質を使用した腕時計などです。
医療やアウトドアといった目的別に高度な性能をもつウエアラブルの需要も拡大していますし、通信機能を備えたスマートウォッチも人気です。
これからも、時代の変化に合わせて私たちの生活を支える製品が現れるに違いありません。
時計の発展は今後も続きます。