偉人の愛した時計
第2回:昭和天皇とシチズン
時計ブランドと偉人の歩んだ歴史や逸話を語るコチラのコーナー。今回は日本に焦点をあてていきたいと思います。
三大国産時計メーカーと言えば、人によって様々な意見があるとは思いますが、
セイコー、カシオ、そしてシチズンの3社が挙がります。
今回はその中でも、シチズン(シチズン時計株式会社)と戦後の日本を最も支えた偉人のストーリーを紹介します。
国産時計「シチズン」の由来
シチズン(シチズン時計株式会社)は1918年、現在の高田馬場に尚工舎時計研究所という社名で誕生しました。
銀座で貴金属商を営んでいた山崎亀吉氏が海外視察でアメリカの懐中時計の大量生産の状況を知り、当時輸入時計中心だった日本で国産の時計を作ることを決意したのがそのおこりです。
ちなみにシチズンの母体である尚工舎が誕生した1918年、日本では今なお名前を残す数多くの会社や商品が誕生した年でもあります。
一例を挙げると、松下電気器具製作所(現:パナソニック)、並木製作所(現:パイロットコーポレーション)、市川兄弟商会(現:象印マホービン)などが創立されており、森永からは皆さんもご存知のミルクチョコレートが販売されるなど、現代日本の基礎が固まりつつあったと言っても過言ではありません。
まさに明治維新ののち、日清・日露戦争を終え日本が輪をかけて成長していた激動の過渡期にシチズンは誕生したのでした。
最初の時計製品は、1924年に完成した「16型」。
携帯時計の主流が輸入品の懐中時計だった時代に、独自の設計で作り上げた国産時計でした。
シチズン初の製品となる「16型」。
当時、貴族院議員(現参議院)の要職にあった山崎亀吉氏は、時の東京市長であった後藤新平伯爵と親交があり、時計の命名を後藤市長に依頼しました。その際、市長は永く広く市民に愛されるようにと、市民を意味する「CITIZEN」と名付たのです。
その後、1930年5月28日、「シュミット時計工場」の支配人であった中島與三郎氏が尚工社を買い取り、 新会社として発足することになります。鈴木良一氏の他、有志とともに、時計の名前であった「シチズン」を会社名に取り入れ、尚工舎はシチズン時計株式会社として産声をあげます。
そして、シチズン時計が尚工舎時代に製品化した「16型」こそが、今回の偉人である昭和天皇とシチズンを繋ぐこととなったのです。
2024年4月1日 追記
16型「CITIZEN」の誕生から、今年で100年を迎えました。
実はCITIZENがこの100年の間に、様々な「世界初」を生み出してきたことを、みなさんご存知でしょうか。
最も代表的な例としては、それまで宇宙開発専用の素材であった「チタン」を、世界で初めて腕時計に使用したのがシチズンなのです。
現在でもそのエッセンスは「アテッサ」や「ザ・シチズン」といったモデルに代表されるように、シチズンのメイン商品として広く知られています。
今となっては、他の国産メーカーはもちろん舶来ブランドでも当たり前に使用されているチタン技術ですが、その加工技術は一番槍としての意地を感じられるほどに、他のブランドを寄せ付けない非常に精緻なものとなっています。
もしチタン製の腕時計をお探しなら、まずはCITIZENを使ってみていただきたいですね。
また、世界初の技術は今なお誕生しており、直近ですと電波時計の時刻情報から自動的にその時点の月齢を計算し、表示・修正を行ってくれる機構を生み出しています。
昭和天皇の自慢
前述したようにシチズン製の時計は昭和天皇の手に渡ったとされていますが、その経緯について、いまも残る逸話があります。
1927年に名古屋での旧陸軍晩餐会で、コーヒーを楽しみながらの歓談中、一人の紳士が手持ちの時計を見せ「陛下、これは外国製でございますが、まことに正確に合います。日本製のものはどうも不正確でまだまだ到底、外国製には及びません。」と言ったところ、昭和天皇はズボンのポケットから懐中時計を取り出し「私のこの時計は12円50銭の国産品だけれども、とても良く合うよ」と嬉しそうに示したのが、「尚工舎(現:シチズン)」が発売したばかりの同社第1号モデル「CITIZEN(16型)」だったのです。
時計は官費購入品ではなく、昭和天皇の侍従であった木下道雄氏が京橋の「山崎商店」で2個購入したものだったそうです。1個を私用に、1個を昭和天皇に謹呈されたものと伝えられています。
現行関連製品
「市民」であろうとした天皇
昭和天皇は明治以降の天皇の中でも激動の時代を歩んだ天皇でした。
父親である大正天皇が若くして亡くなったこともあり、その在位期間は日本の歴史の中でも最長の64年。その中で日本は太平洋戦争という大きな困難に見舞われています。明治維新以降、盛んに行われた国家主導の対外戦争での初めての圧倒的な敗戦は昭和天皇に大きな責任として降りかかりました。
敗戦後日本を統制することを目的として、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が置かれ、マッカーサーが司令官として赴任してきました。昭和天皇とマッカーサーは9月27日会談の機会を得ます。当初、マッカーサーは昭和天皇が戦争犯罪者として起訴されないよう自分の保守を始めるのではないかと考え、パイプを加えたままソファーから立ち上がろうともしなかったといいます。
しかし昭和天皇は、挨拶を終えるとこう伝えました。
「私は、戦争の全責任を負う者として、あなたの国の裁決にすべてをゆだねます。ただ、国民は住む家もなく、着る物も不自由し、食べるのもままならぬ状態です。どうか、この国民の衣食住のみはご高配賜れますように。」死を覚悟してまでも、国民を思いやる態度にマッカーサーは心を揺り動かされたと後に語っています。
また、昭和天皇は終戦直後の混乱の中で、「全国を隈無く歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちあがらせる為の勇気を与える事が自分の責任と思う」との考えのもと、約8年半、総日数165日をかけて、沖縄以外の全都道府県を回りました。
この時、昭和天皇は初めて一般市民と交流を持つことになり、長期に渡った巡幸の中、彼がなんとか市民と目線を合わせようとしたことがうかがえるエピソードがたくさん残っています。
それまでの欧米諸国において、敗戦国の王や責任者は殺されるか、国外追放されるのが一般的でしたが、昭和天皇はたいしたお供も付けずに無防備なまま各地を巡幸していたので、他の国から見るとかなり驚きであったようです。
巡幸中に敗戦や家族を失った悲しみを暴力として向けられる危険性がありながら、それでも日本中を巡った昭和天皇は、日本史に名を残すどの人物よりも「市民であろう」と努力した人間だったと言えるでしょう。
そして、市民であろうとした昭和天皇がかつて、「広く市民に愛されるように」という意味合いをこめて製造されたシチズン製の懐中時計を使用していたことは、なんとも感慨深いものです。
現行関連製品
現在のシチズン
現在、シチズンはその社名に偽りなく、手に入れやすい価格でありながら高品質な時計を数多く販売しています。
また、低価格帯だけではなく年差精度にこだわり続け±1秒というとてつもなく高精度の時計を生み出した「The CITIZEN」シリーズや、日本の伝統文化である漆や螺鈿と時計の融合を成し遂げた「カンパノラ」シリーズのような、独自の強みやコンセプトを研ぎ澄ました高価格帯の商品も人気を博しています。
海外でも高精度であることが評価されており、近年ではアメリカのバーニー・サンダース上院議員もシチズンの時計を愛用されているそうです。
さてこれらシチズンの時計、どのような方におすすめしたいかというと、そのブランドの持つコンセプトの幅の広さから本当に幅広い方々にお勧めすることができます。
大学や新社会人として新たな一歩を踏み出す方には低価格帯がお勧めですし、人とは違う一風変わった時計を求める方には「The CITIZEN」や「カンパノラ」シリーズの時計がお勧めです。
また、世界初の電波時計及び衛星電波時計を開発したのもシチズンであり、お仕事で海外によくいかれる方には「エコ・ドライブ」シリーズなどがお勧めです。女性用腕時計も充実、「xC」や「エクシード」、「CITIZEN L」などのシリーズには時計としての機能を十分に担保しながら、ジュエリーライクなラインナップが揃っています。
まさに老若男女を問わない、市民のための時計です。
もちろん海外産の時計にも品質の良いものはたくさんありますが、ブランドに対して強いこだわりがない方には、是非ともCITIZEN製をお勧めしたいです。
ご興味を持たれた方は、ぜひ一度商品ページをご覧になってみてください。
もちろん、お電話やメールによるお問い合わせにもご対応しております。
現行関連製品
「わたしの食べているパンは普通のより白いようだ。わたしのパンだけ白いのは困る。国民の配給と同じにしてくれ。」 迪宮裕仁親王(1901〜1989)
ここまでのお相手は、スタッフ石田でした。