偉人の愛した時計 第4回
ニール・アームストロングとオメガ
時計ブランドと偉人の歩んだ歴史や逸話を語るこのコーナー。
第4回となる今回は、人類史上初めて月に降り立った男と腕時計のお話です。
目次
「究極」を意味する「オメガ」
本来「Ω オメガ」とは全部で24種類あるギリシャ文字における24番目、最後の文字になります。
最後の文字であることから「最後・究極」の意味を持っており、新約聖書にも究極と言う意味での引用が存在するほどで、ヨーロッパ圏では日本における「ん」や「XYZ」程度には「最後・後がない」という印象に馴染みのある文字であると言えます。
ではなぜオメガの創業者は、社名にある種不吉であるとも言える「オメガ」を使用するようになったのでしょうか。 まずは、オメガの成り立ちから紐解いていきます。
1.ルイ・ブラン&フィルズ時代
1848年、時計職人ルイ・ブランはスイスの小さな村、ラ・ショー・ド・フォンに小さな工房を開きます。
それは、家族が所有する小さな家で当時23歳であった彼がその後オメガとなる企業の基盤を築いた瞬間でした。
それまで職人により手作業で行われていた製造工程を機械化・自動化したり、部品ごとの分業化を世界で初めて採用したりといった改革を進めながら、破竹の勢いで生産規模を広げていきました。
1879年のルイ・ブランの死後は、彼の二人の息子であるルイ=ポールとセザールが時計工房と精度に対する父の情熱を受け継ぎます。
この時彼らは、自分たちの時計工房が時計業界を大きく動かし、さらには人類史の偉業を支えることになるとは思ってもいなかったでしょう。
2.キャリバー「オメガ」の誕生と社名変更
時計工房を受け継いだ後、量産型のキャリバーやミニッツリピーター時計の開発を行うなどして大きな飛躍を遂げたブラン兄弟は、1894年に高品質の新型ムーブメント「19 ライン キャリバー」を発表します。
二人はここで「究極」という意味を込めて、「オメガ(Ω)」と命名。
これが現在の社名の由来となっています。
このムーブメントはただ精度が高いというだけでなく、どの部品も簡単に取り替えることができるメンテナンスの簡易性でも優れていました。
心棒とリュウズで巻き上げと時間調整ができる点も当時としては革新的で、今なお広く使われ続けています。
3.NASAによる「スピードマスター」の採用
究極の看板を掲げた「オメガ」の開発から約70年。
オメガの時計は「究極」に相応しい快挙を成し遂げます。
それはNASAによる宇宙飛行士の必要装備としての採用でした。
オメガ以外にも3社の腕時計ブランドが、NASAの耐久テストに手を挙げたものの、各時計メーカーから納入されたクロノグラフに対して、NASAはまるで時計を壊すことを目的とするかのようなテストを行い、そして最後まで残った時計が、唯一オメガのスピードマスターだけでした。
月に立った男、ニール・アームストロング
オメガのスピードマスターがNASAの正式装備として採用された頃世界は冷戦の真っ只中で、宇宙への進技術も本来は兵器開発の延長だったという事実は今でも有名な話です。
アメリカとソ連はそれぞれ国の威信をかけ、技術を高め合っていました。
そんな殺伐とした宇宙開発を、今日に至るまで夢と希望の代名詞へと変えたと私個人が感じている人物が2人いました。
一人はソビエトの宇宙飛行士、ユーリィ・ガガーリン(1934〜1968)。
1961年に、ボストーク1号に単身搭乗し人類初の有人宇宙飛行を成し遂げた人物で、「地球は青かった」「神はいなかった」の名言で有名です。
そしてもう一人が今回の偉人、ニール・アームストロング(1930〜2012)です。
ニールはその経歴から考察するに、最初から宇宙飛行士を目指していたわけではなく、戦闘機のパイロットになりたかったのではないかと考えられます。
実際、彼は大学で航空工学を専攻していましたが、志願者を2年間大学に通わせた後、3年間海軍に勤務させ、また2年間復学させるという奨学金制度を利用しています。
海軍に所属していた時期には朝鮮戦争にパイロットとして従軍しており、大学卒業後も空軍に入隊し、新型機のテストパイロットとして活躍していたことから、パイロットとしての人生を歩むことを夢見ていたのではないでしょうか。
そんな彼に人生の転機が訪れたのはアポロ計画が発表された1961年でした。
彼は、ここで宇宙飛行士としての運命を歩み始めることになります。
ちなみに彼の人生が宇宙飛行士として決定づけられていたような逸話が残っています。
実は、彼の宇宙飛行士選抜の志願書は提出期限を1週間過ぎていたのですが、偶然にも空軍時代の友人が期日の過ぎた志願書を人に気づかれる前に他の志願書の山の中にそっと潜り込ませたとか。
逸話の真偽はわかりませんが、彼は選抜試験に合格し人類史に残る偉業を成し遂げることとなりました。
1969年7月21日午前2時56分
ニールが宇宙飛行士を目指してからアポロ計画に至るまでの間に、彼は宇宙空間での船外活動を複数回こなしており、着実に宇宙飛行士としての経験を積み、1969年7月16日、彼はエドウィン・"バズ"・オルドリン(1930〜)とマイケル・コリンズ(1930〜2021)とともに、月へ向かって出発しました。
片道約4日間の間、彼らはどんな話をしたのでしょうか。
7月20日の17時44分にマイケルの操縦する司令船コロンビアからニールとバズを乗せた月面着陸船イーグルが切り離され、3時間後の20時17分に着陸を成功させます。
この時、残りの燃料は当初予定していた残量よりも少なく、25秒分しか残っておらず、墜落する恐れもあったそうです。
一方コロンビアに残ったマイケルは、イーグルを切り離した後月の周回軌道上を一人で過ごしており、「アダム以来、そのような孤独を知る者はいない」とも言われる28時間を過ごしています。
そして1969年7月21日午前2時56分、ニールは人類史上初めて月に降り立つという偉業を成し遂げます。
二人はその後、約2時間にわたって月面の調査や、大阪万博の目玉となった月の石をはじめとしたサンプルの回収を行い、帰還しました。
帰りもかさばった宇宙服をぶつけたことによって上昇用ロケットエンジンのスイッチが壊れてしまい、地球への帰還が不可能という状況にも陥りましたが、バズがボールペンの先でスイッチを入れ、ロケットが上昇している間もずっと押し続けるという手法でことなきを得ています。
NASA以外にも。OMEGAを採用した組織
実はNASA以外にもOMEGAの時計を採用した組織は数多く存在します。
最も有名なのは、国際オリンピック委員会(IOC)でしょう。
1932年以来、28回ものオリンピックでオフィシャルタイムキーパーを務めています。
時計だけではなく、今日では当たり前となった水泳競技用のタッチパネルタイマーやスターティングピストルなども開発しており、アスリートの結果を寸分の狂いなく計測するために欠かせない存在となっています。
また、イギリスのスパイ映画「007シリーズ」でも、主人公であるジェームズ・ボンドの装備としてオメガの腕時計が登場しており、世界中のファンを魅了しています。
何を隠そう筆者である私も007の、特に2021年現在ダニエル・クレイグ氏演じる6代目ボンドの大ファンで、3作目である「スカイ・フォール」は5回は見ました。
スクリーンの中で敵対組織と戦うボンドの腕元に巻かれた腕時計と同じモデルの腕時計を、いつかは手にしたいものです。
人類の技術はどこまでいけるんだろう
昔、アポロ計画のことを歌った有名な歌に、「このまま技術が進んでいけば、金星から愛のメールを送るなんてこともあるかも」という意味の歌詞がありました。
初めてこの曲を聴いた時は、なんとも遠い未来の話だなと感じていたのですが、近年の科学技術の発展速度を思えば、オメガの時計が再び月やその他の天体の大地に降り立つ日は、そう遠くない未来なのかもしれません。
実際、私が接客を担当していたお客様にムーンウォッチの購入を悩まれていた方がいました。
お話をさせていただいている中で、そのお客様がふと口にした
「僕たちの世代で一般人が月に行くことを実現するのは流石に難しいだろうけど、僕の子供や孫たちの世代はもしかするといけるかもしれないですよね。その時にこの時計を受け継いで、月に行ってくれたら、なんて考えてて悩んでます。」
というお話がとても印象に残っています。
ニールが残した偉業は、人類をさらに宇宙への進出に駆り立てたことは間違いなく、これからもこの情熱が失われることはないでしょう。
ご興味を持たれた方は、ぜひ一度商品ページをご覧になってみてください。
もちろん、お電話やメールによるお問い合わせにもご対応しております。
最後は、ここまで取っておいたニールのあの名言でお別れです。
「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、
人類にとっては偉大な一歩である。」
ニール・アームストロング(1930〜2012)
ここまでのお相手は、スタッフ石田でした。