ヘミングウェイ GMT フィッシャーマン
クエルボ・イ・ソブリノスは大好評を博した初回の限定シリーズに続き、20世紀を代表する伝説的作家であるアーネスト・ヘミングウェイに捧げる3つの新たなコレクションを発表しました。
新しいコレクションでは、2つのカラーバリエーションを持つ「イコニコ」と、「GMTフィッシャーマン」の3つのモデルが展開されます。
「GMTフィッシャーマン」は、ヘミングウェイの海への限りない愛からインスピレーションを得ており、キューバのカヨ・ブランコで書かれ、1953年にピューリッツァー賞を受賞した小説『老人と海』へのオマージュです。
彼は1939年から1960年まで、20年にわたりキューバの「フィンカ・ビジア」で暮らし、ラテン的なアイデンティティを持つキューバとクエルボ・イ・ソブリノスを深く愛しました。
彼はキューバ滞在中しばしばクエルボ・イ・ソブリノスのブティックを訪れており、「ヒストリアドール ヘミングウェイ」はヘミングウェイ・リミテッドの公式ライセンスを受けた初のスイス時計です。
ディテールへのこだわりは、クエルボ・イ・ソブリノスブランドが大切にしている特徴であり、各モデルのダイヤルリングにはヘミングウェイの名言が刻印されています。
「フィッシャーマン」には、「老人と海」からの引用“Every day is a new day. It is better to be lucky (毎日が新しい日だ。運に恵まれたほうがいい)」の文字が英語とスペイン語で記されています。
メタル・ブレスレットの他に、強度に優れたデニムブルーのコーデュラ・ストラップも付属。
ケースバックからは内部の機構を見ることができ、ローターにはヘミングウェイへのオマージュとしてヘミングウェイのロゴが刻印されています。
当モデルは288本の限定生産。
限定ボックスも用意されており、ブック型のエレガントな専用ボックスは時計ケースとしてだけでなく小物を保管することも可能です。
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モデルバリエーション
知られざる名ブランド「クエルボ・イ・ソブリノス」とは
『スイスのハートにキューバのスピリット。』
1882年、創業者であるラモン・イ・クエルボはキューバの首都ハバナでも一流ショップが集まるキンタ通りにラ・カーサという高級時計宝飾店をオープンしました。
ほどなくアルマンド・リオ・クエルボを含む兄弟達が経営を手伝い始め、後に店名を「クエルボとその甥達」という意味である「クエルボ・イ・ソブリノス」(CYS)に変更し、事業を次第に拡大していきました。
時計はスイスのラ・ショー・ド・フォンで製造。
卓越したスイスの時計製造の技術に、ラテンの精神を吹き込むことに成功しました。
ロンジンも、ロレックスも、パテック・フィリップも
1940年代、砂糖需要の拡大によりのキューバはかつてない好景気に沸き、それとともにCYSも絶頂期を迎えました。
CYSの高い評価は世界的なものとなっており、ダイヤルに「Cuervo y Sobrinos」と記されたダブルネームモデルを多数製造。
今では信じられないことですが、ロンジン、ロレックス、パテック・フィリップ、ユリスナルダンなど、現代の時計業界を支えている大手ブランドの数々がCYSの人気を糧に時計を販売する時代もあったのです。
歴史を変えた偉人も愛したCYS
作家のアーネスト・ヘミングウェイ、俳優のクラーク・ゲーブル、政治家のウィンストン・チャーチル、そして物理学者のアルベルト・アインシュタイン。
世界を変えたと言っても過言ではない著名人たちが、クエルボ・イ・ソブリノスの顧客名簿にその名を連ねていることからも、当時の人気ぶりを窺い知ることができます。
休眠と再出発
しかしながら50年代に入るとキューバ革命により社会主義国へ移行。
ブランドも国営化されてしまい、キューバ軍のアンゴラ介入時には軍用時計を生産することもありました。
その後ブランドは休眠状態となり、20世紀末に長い眠りから発見されるまでの約40年間、時計製造を停止することになりました。
2002年、当時のCEOのマルツィオ・ヴィラによって本格的にブランドとして復活。
現在もスイスを拠点に、クエルボファミリーの職人たちより受け継がれた時計のムーブメントや当時のスケッチからヒントを得ながら、かつてのモデルに独自のタッチを加え、新たにハバナテイストを基調としたエレガントなモデルを生み出しています。
当ネットショップで取り扱っているモデルはお取り扱い品の一部です。
さらに豊富なラインナップはハラダ本店店頭でご覧いただけます。