ヴェロ ドミンゴ・ロシーヨ 3205-1N
ドミンゴ ロシ−ヨ、長い間失われてきた航空の英雄
人々が航空の先駆的な時代について考えるとき、いくつかの明白な名前が頭に浮かぶ。
1909年にイギリス海峡を渡ったルイ・ブレリオ(Louis Bleriot)と、1927年に彼のスピリット・オブ・セントルイス号に乗って大西洋の上を飛んだチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh)。
しかしあまり良く知られていないキューバのドミンゴ・ロシーヨ・デル・トロも航空機の殿堂に正当な立場を持っています。
1912年後半、ドミンゴ・ロシーヨはパリにいて、ルイ・ブレリオが運営する航空学校で国際飛行免許を取得しました。
同じ場所と時間に別のキューバ人アウグスティン・パーラ(Augustin Parla)がいました。
そして彼らは航空記録の探求で、彼と激しく競い合うライバルになりました。
ハバナ市が、キーウェストアメリカからハバナまでの約90マイルの危険な開放水域を渡る最初の人に今日の価値で約25万ドルの賞金を提示したことで、その対立を煽りました。
感じるままに飛ぶ
当時の飛行は非常に危険な任務でした。
そのため、世界中の何百万人もが記録破りなパイロットとその偉業によって魅了されていました。
1913年5月17日、ドミンゴはわずか50馬力のロータリーエンジンのモラーヌ・ソルニエ単葉機に乗り込み、2.08時間の飛行の後開放水域上での史上最長の長距離飛行で新しい世界記録を達成しました。
彼の名前を再び有名にすることが、ヴェロ ロシーヨコレクションのインスピレーションであり勇敢な紳士パイロットにふさわしいオマージュです。
ヴェロはこの範囲に完全に適合し、ブランドのレトロとヴィンテージのDNAを統合するのに役立っています。
洗練された44mmのケースは現代のロータリーバイブレーターで生成されています。
仕上げは1ケースあたり最大10時間かかる長いプロセスです。
同じデザインとなる時計は2つと無く、よりユニークさと個性が加わります。
モデルバリエーション
- 169160957
- 169161018
- 169161717
知られざる名ブランド「クエルボ・イ・ソブリノス」とは
『スイスのハートにキューバのスピリット。』
1882年、創業者であるラモン・イ・クエルボはキューバの首都ハバナでも一流ショップが集まるキンタ通りにラ・カーサという高級時計宝飾店をオープンしました。
ほどなくアルマンド・リオ・クエルボを含む兄弟達が経営を手伝い始め、後に店名を「クエルボとその甥達」という意味である「クエルボ・イ・ソブリノス」(CYS)に変更し、事業を次第に拡大していきました。
時計はスイスのラ・ショー・ド・フォンで製造。
卓越したスイスの時計製造の技術に、ラテンの精神を吹き込むことに成功しました。
ロンジンも、ロレックスも、パテック・フィリップも
1940年代、砂糖需要の拡大によりのキューバはかつてない好景気に沸き、それとともにCYSも絶頂期を迎えました。
CYSの高い評価は世界的なものとなっており、ダイヤルに「Cuervo y Sobrinos」と記されたダブルネームモデルを多数製造。
今では信じられないことですが、ロンジン、ロレックス、パテック・フィリップ、ユリスナルダンなど、現代の時計業界を支えている大手ブランドの数々がCYSの人気を糧に時計を販売する時代もあったのです。
歴史を変えた偉人も愛したCYS
作家のアーネスト・ヘミングウェイ、俳優のクラーク・ゲーブル、政治家のウィンストン・チャーチル、そして物理学者のアルベルト・アインシュタイン。
世界を変えたと言っても過言ではない著名人たちが、クエルボ・イ・ソブリノスの顧客名簿にその名を連ねていることからも、当時の人気ぶりを窺い知ることができます。
休眠と再出発
しかしながら50年代に入るとキューバ革命により社会主義国へ移行。
ブランドも国営化されてしまい、キューバ軍のアンゴラ介入時には軍用時計を生産することもありました。
その後ブランドは休眠状態となり、20世紀末に長い眠りから発見されるまでの約40年間、時計製造を停止することになりました。
2002年、当時のCEOのマルツィオ・ヴィラによって本格的にブランドとして復活。
現在もスイスを拠点に、クエルボファミリーの職人たちより受け継がれた時計のムーブメントや当時のスケッチからヒントを得ながら、かつてのモデルに独自のタッチを加え、新たにハバナテイストを基調としたエレガントなモデルを生み出しています。
当ネットショップで取り扱っているモデルはお取り扱い品の一部です。
さらに豊富なラインナップはハラダ本店店頭でご覧いただけます。